私のエゴ

今日何回目の更新でしょうか。

暇なので書くことがとまらない。

さっき初女さんの言葉で、
「祈りは生活」
と書いたけど、これを聞いたとき、
マザーテレサの精神とすごく似てるな、と思った。

マザーハウスでもらった詩でこんな詩がある。

主よ
あなたの平和をもたらす道具として
私をお使いください
憎しみあるところには、愛を
不当な扱いのあるところには、ゆるしを
分裂のあるところには、一致を
疑惑のあるところには、信仰を
誤っているところには、真理を
絶望のあるところには、希望を
暗闇には、光を
悲しみのあるところには、喜びを
もっていくことができますように
慰められることを求めるよりは、慰めることを
理解されることよりは理解することを
愛されるよりは、愛することを
求める心をお与えください
私たちは自分を忘れ去ることによって、自分を見いだし
赦すことによって赦され
死ぬことによって、永遠の命を頂くのですから


マザーハウスで1週間にもみたないボランティアを
しながら、この詩を繰り返し頭の中で思い起こしていた。

この詩が好きだったマザーのことを思うと、
初女さんとすごく似ているな、と思う。

マザーは、「あなたのカルカッタをみつけてください」
って言ってたけど、初女さんは、そのカルカッタを
自分の中でみつけたんだろう。

私は、カルカッタで、子供を抱きしめている時
よくわからなくなってしまっていた。

カルカッタは、最貧困の土地だから、とえいやって来たんだ。
でもそのカルカッタで、私のカルカッタはどこだろうって疑問が
浮かんだ。

で、大学2年で、自分のカルカッタは、自分の足元だと思って、
介護問題に取り組んだ。

でもそれも、家族と直接話すんじゃなくて、
サークルで取り組んだだけ。


それでも、
こんなに参ってしまって、神経症にかかってしまった。

それから、母とは、少しずつ老いについて話せるようになったけど。


結局うちの中は変わらない。
変えられない。

そういうこともあると知った。

なら、私はどうすればいいんだろう。

家族の平和を作るということすらなしえないで、
世界平和、ということを追求するのは、私のエゴ?

そのほうが、かっこよくみえるから?

よく、わからない。

それでも、世界の、紛争の中にいる人を救いたいと思う。

今だらだらと書いていて一つだけわかったのは、
それができるかできないかはわからないし、
それがエゴかどうかはわからないけど、
したい、ってことを見つけられただけ、
私はとっても幸せだってこと。
だからこそこんなに悩む、けれど。

したい、に忠実に。

MUSTやSHULDではなく。

生きる、生きる。



2007.03.21 | | Comments(2) | Trackback(0) | 考えたこと

コメント

とみーさんも、マザーハウスに行ってきたんですね。池袋の炊き出しで知り合った方がマザーハウスに行った事があって、自分も行きたいなと思ってたので、研修中に休みを取って行ってきましたよ。

僕はほとんどカーリーガートで過ごしました。ボランティアして、オカリナ吹いて。でも、患者さんとうまく接する事のできない自分がもどかしかったです。マレーシアの障害者施設での研修と一緒でした。偏見なんて・・・って頭で分かったフリをしていても、体は正直で行動が伴わないんですよね。

矛盾、エゴ、偏見。。。そんなモノあっていいんですよ。偏見なんて無くせるなんて思ってたけど、無理な話で、でも出来る限り減らす事はできるし、いい方向にも持っていけるなって事に最近気づけました。少なくとも、何かをしたいという思いが、物事を動かしていくんですよね。

2007-03-22 木 00:35:29 | URL | おっつー #STO9711o [ 編集]

>おっつー
コメントありがとう☆
偏見とかって、その人が例えば「障害者」
っていう枠に入っていたとしても、
その枠から抜け出して、その人個人の
人格であったり、個性を見出した時に、
なくなる気がする。
でもそう考えると、自分の中の偏見を
なくしていくのは可能だけど、
他の人の偏見をなくしていくって、
すごく難しいことなんじゃないかなーって
思うよ・・。むむむむ。

2007-03-23 金 08:05:26 | URL | トミー #- [ 編集]

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